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2015年7月26日日曜日

カンボジア 6【大量虐殺の地を覗いて負の歴史に触れた1日】

現在地:ジョージア/バトゥミ

今日はいよいよ世界三大料理の国、トルコに向かいます(たぶん)。
アルメニアとジョージアでは自炊を頑張ったので、その分、トルコで美味しいものを食べたいと思います!

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2015年5月5日(火)

本日はかなりの長編です OTL
そして、あえて暴力的かつ残忍な言葉をそのまま使っている箇所もあります。
苦手な方は飛ばし読みすることをオススメします。
ただ、少しでもこういう場所があることを知っていただければと思い、記事を書くことにしました。

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プノンペンは王宮もあるし、近くにはメコン川も流れていて雰囲気がいい場所もあるけど、今回はそれはなしにしてちょっといつもと違った場所を訪れてみようと思います。

それらの場所はホテル街から離れた位置にあるので、普通はトゥクトゥク先輩をチャーターして行くんでしょうが、僕は自転車で行きました(笑)

宿の近くにあるツアー会社兼レンタルサイクル屋さんで、2ドルで1日乗り放題♡



毎度自転車には縁のない僕ですが、今回は入念にチェックして、本日の旅の相方はサドルJAPANに決定( ´ ▽ ` )ノ


サドルJAPANにまたがって自転車を漕ぐとまたもや砂埃に襲われます。
かなり交通量が多いです。


なので、サングラスとマスクは必須!
怪しげな風貌ですが、日差し暑いし、砂埃に巻き込まれるわで大変でした><


20分ほどで目的地に到着。
まずは
チュオル・スレン(トゥールスレン)・ジェノサイド・ミュージアム 「S21」
入場料は3ドル(371円)、駐輪代で1000リエル(30円)かかりました。


ここは、1976年、クメール・ルージュが「革命に学問は不必要」という理由で医者や弁護士などの知識人をはじめ罪のない人々を次々と捕まえ、当時無人だったリセ(学校)を尋問・拷問する場所に転用。2年9ヶ月の間、女、男、子供、老人問わず14000~20000人の人々が収容されたとされる。驚くべき事にその中から生還したのは8名。


ここでは笑うことを禁じられている。
生半可な気持ちで来る場所ではない。


尋問中の保安規則


1)質問された事にそのまま答えよ。話をそらしてはならない。
2)何かと口実を作って事実を隠蔽してはならない。尋問係を試す事は固く禁じる。
3)革命に亀裂をもたらし頓挫させようとするのは愚か者である。そのようになってはならない。
4)質問に対し問い返すなどして時間稼ぎをしてはならない。
5)自分の不道徳や革命論など語ってはならない。
6)電流を受けている間は一切叫ばないこと。
7)何もせず、静かに座って命令を待て。何も命令がなければ静かにしていろ。何か命令を受けたら、何も言わずにすぐにやれ。
8)自分の本当の素性を隠すためにベトナム系移民を口実に使うな。
9)これらの規則が守れなければ何度でも何度でも電流を与える。
10)これらの規則を破った場合には10回の電流か5回の電気ショックを与える。





室内には様々な展示品があります。
当時の様子をそのまま残した部屋がいくつもありました。

血の染み付いた床
壁に刻まれたHELPの文字
犠牲者の着ていた服が入ったケース
見世物かのように並ぶ人骨

ポルポトの写真
裸の状態で無残な姿になった人の写真

当時使われてた足かせ
実際に使われた拷問道具の数々
母親から赤ん坊を無理やり取られる絵
ペンチのようなもので指をちぎられる絵
鞭打ち、溺死、喉もとをナイフで切られる男性などの様子を描いた絵

特に僕が心を痛めたのは犠牲となった人の顔写真

生きる希望を失った顔
助けを求めている顔
やせ細った体に憔悴しきった顔
凛々しい笑顔で最後の1枚を撮られる人

人の顔写真を見るだけでも、残酷さが伝わってきます。
目をそらしてはいけない事実がつい40年前、ここにあった。

施設内は撮影禁止の為、外で撮った写真しかありませんが、以下のサイトに写真がありますので、興味がある方は覗いてみてください。

〜参照・引用サイト〜


トゥールスレンでもお腹一杯ですが、さらに知識を広げるために、再びサドルJAPAN
にまたがり、1時間自転車のペダルをこぎます。

次にやってきのは、キリング・フィールド


キリング・フィールドは、ポル・ポト政権下のカンボジアで、大量虐殺が行われた刑場跡の俗称。 クメール・ルージュの秘密警察である「サンテバル」は、知識人・伝統文化継承者・教師・宗教関係者などを反革命的な者と見なして次々と殺害した。


「罪のない人を誤って殺すのは、敵を誤って殺しそこねるよりましでえる」by ポルポト


入場料は6ドル(743円)
ここでは日本語のオーディオガイドを借りれます。
ということで、オーディオガイド様の力を借りながら、写真とともにこの場所の解説をしていきたいと思います。



まず始めのガイドはどうやってここまで運ばれたかの説明。
毎日300人もの人々がトラックに乗り、目隠しをされた状態でここまで運ばれ、ついたその日あるいは翌日拘留され、殺されます。



鶏を殺す際に使われるサトウヤシの幹のギザギザ部分で人間の喉を切ると、叫んだり声を発せなくなる、、、、



ただひらすら殺され、穴に放り込まれる。その繰り返しの日々。
農業や建設工事などで使われる道具が、人を殺すために使われました。

処刑される人は、自分の墓となる穴の淵に跪かされ、執行人たちはカマ、斧、竹の棒、荷車の車軸、ナタ、ハンマーなど、安く手短にあるものを手当たり次第に使って殴り切りつけて殺害しました。
ちなみに、クメールルージュは銃弾が高価なため銃を使いませんでした。
想像を絶する痛ましさ、、、



人骨が埋まっている場所もあり、雨季になると骨がむき出しになることも。



この辺り一帯は当時果樹園で、ポルポトは農民から農地を奪いました。
都市部から体一つで連れてこられた人々は田畑を耕すために、12時間以上休むことなくまた、何の知識もなく、何の訓練もなく働かされました。
食事は1日に2度、おかゆのみ。
ポルポトは自給自足を目指し、米の生産量を3倍に増やすよう、理不尽な命令を出しましたが、生産した米はクメールルージュの兵士に送られることになっています。



ここでは見せしめとして兵士の手によって、兵士が殺されたそうです。
首がはねられ、胴体だけが埋められる。

命令に背くことはできません。何故なら、その行為は裏切り者とみなされ、その兵士自身が殺されるからです、、、



2.3ヶ月に1度、土から出た布端、歯などを集め、ガラスケースのなかに保管されています。



女性は身ぐるみをはがされここで殺されました。
中にはレイプされた後に殺害される若い女性も、、、
そして、左の木は乳児が打ち付けられたキリングツリーと呼ばれる木
むごいことに、当時は髪の毛や脳みそ、血のあとがびっしりだったとガイドは語ります



ここに立つだけで、脳裏に当時の様子が浮かび上がる、、、



人骨のガラスケース



小鳥の巣のような構築物は霊の住処。
この世を去った人の霊を敬い、慈しみ、安住の地が見つからず彷徨い続ける霊を供養するための「ほこら」なんだそうです。



マジックツリーと呼ばれる木。
殺害時の音やうめき声が外に漏れないように、木に吊るされたスピーカーから、大音量で音楽を流すという徹底ぶり。




敷地の中心部に建つ仏塔の様式に習った慰霊塔は1981年に完成しました。
ヒンドゥと仏教の両方のシンボルで装飾されています。
4隅に巨大な鳥、ライオン、人が合体したガルーダが、さらに上にはナーガという伝説の蛇。

これらのナーガとガルーダは敵対にあるそうですが、両者が一緒に見られると平和の象徴となるそうです。

慰霊塔の中は17階あり、1975年4月17日 クメールルージュがプノンペンに入ってきた日を表しているそうです。
1階から10階までにおよそ9000の頭蓋骨が死因など科学的に分類され陳列してあります。

さらに上の階には足や腕などの大きい骨が収められているそうですが、下からは見えませんでした。





なんとも言えない複雑な気持ちになりました。
カンボジアで、実際に行われていた大量虐殺。
自分のこととして考えてみても、想像できないほどの苦しみ、恨み、悲しみで胸が痛みます。
数十年前といえども、そんなに昔の話じゃないことがよりリアルに考えさせられた1日でした、、、


長い文章を最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。



【現在106位】

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4 件のコメント:

  1. 軽々しく何か言えないですけど、お疲れ様でした。
    私はテレビやネットでしか見たことがないので、実際に行った方がこういう風に記事としてあげてくれるのは、とてもありがたいことです。
    まだまだ最近のことですし、この事件があったから、ある一定の年配の方が全然いなくなってしまったと生存された方がインタビューで言っていました。
    日本ももちろん同じ様に悲惨な事件を語り継ぐ人がいなくなった後でも、こうした場所があることで二度と同じ過ちを繰り返さないようにしないといけないですよね。
    また、読みに参りますのでお気をつけてよい旅を~(^^)

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    返信
    1. chihironさん
      まだ読んでくださっていたとは、、感謝です!
      こういう話は本当に難しいです。自分もなんと言っていいのかわかりません。
      この記事には書いてませんが、オーディオガイドにはいろんな方の肉声が収録されていて、惨さをひしひしと感じました。
      どんな国でも負の歴史が存在するのは確かで、それを知ることで、chihironさんがおっしゃるように同じ過ちを繰り返さないようにと意識することができますね。

      なるべく毎日更新がんばりますね(笑)ありがとうございます!



      削除
  2. 毎日は大変そうなので、時々でも大丈夫です(笑)
    読み手としては、無理して更新が無くなっちゃうことの方が寂しいですよ。
    ここから先の中国編も楽しみなので、まだ読んでますからね(笑)!
    返信ありがとうございました(^^)

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    返信
    1. ありがとうございます!
      でも書かないとどんどん溜まる一方なので、将来自分の子どもに見せるためにもできるだけ更新していきます^^
      これからもよろしくお願いします♪

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