【現在地:チリ/サンティアゴ】
ただいま日本食レストランで研修中!
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2015年9月26日(土)
パリにあるドリームハウスという日本人宿でモンサンミッシェルツアーに参加。
前回は、オンフルールとサンマロを紹介しました。
前編はコチラ
今日はモンサンミッシェルについて書きたいと思います。
まずはオンフルールの後に訪れた昼のモンサンミッシェルから!
軽快にドライブしていると右手に現れたモンサンミッシェル。
インフォメーションセンターに寄って、パンフレットをもらってバスに乗ります。
デザインがなんだか可愛い箱型のシャトルバス(無料)に乗ってモンサンミッシェルまで向かいます。
ちなみに、モンサンミッシェルがある島まで徒歩でも、馬車でも行くことができます。
10分ほどで入り口付近に到着!
幾度となく写真で見てきたモンサンミッシェルを目にするとなんだか感動を覚えます。
下には馬車もいて絵になるなぁ。
さすがに人気な観光地。
門をくぐると、グランド・リュ(大通り)は多くの人で賑わっていました。
所狭しと並ぶおみやげ屋さんやレストランを横目に坂道を登ります。
宿のツアーには上に立つ修道院 の入場料は含まれておらず、入っても入らなくてもいいんだけど、ここまできたからにはどんな風になっているのか見て見たい!
ということでチケット売り場で入場券を購入(9ユーロ)
僕は国際学生証を持っていたので、入場料が無料!
日本語のパンフレットもあったので読みながら中を散策します。
以下このパンフレット文を引用。
モンサンミッシェルの長い歴史は708年に始まります。アヴランシュの司教オベールが大天使を奉げる聖堂をモン・トンブといわれる岩山に建ててから、このモン(岩山)は重要な巡礼地のひとつとなり、10世紀初めにはベネディクト会の僧が修道院に住み始め、一方、村は修道院の下のほうに向かって発達してゆき、14世紀になると村の規模は海岸にまで至るようになりました。
初めは小さな聖堂にすぎなかったのだけれど、巡礼の地となってからはこのように、、、
修道院が大きくなり、、、、
城下町も栄えることになりました。
英国との100年戦争の時も不落の強固さをみせたモンサンミッシェルは、軍事建築物のひとつとしてみなされるようになりました。英国のあらゆる攻撃に持ちこたえた防壁や要塞のつくりによって、このモンはフランス国家の誇りを象徴する場所になります。
ここから見える景色に驚き。
周りに何にもないんですよね。
水が完全に張っているところを見たかったなぁ。
そんなことより、子どもが可愛すぎた。
連れて帰りたい、、、(犯罪)
フランス革命時に修道院が散会してから1863年までこの修道院は監獄として使用されました。1874年、この修道院は歴史的建造物に指定され、大掛かりな修復工事対象となり、それ以来、全体の景観も含めてこのモンサンミッシェルの修復は中断されることなく現在も続けられています。1979年より、モンサンミッシェルはユネスコの世界文化遺産に指定されています。
この「修道院付属教会」では、祈りを捧げる人もちらほらいらっしゃいました。
想像以上に質素な内装です。
ちなみに修道院っていうのは、キリスト教の修道士がイエス・キリストの精神に則って、祈りと労働のうちに共同生活(修道生活)をするための施設のことです。(後から知った)
順路をたどって、祈りと瞑想の場である「回廊」内の中庭へ。
他の建物につながる通路の役目を果たしています。
合同の食事室の真下にある「迎賓の間」は、王や貴族たちを迎えるために使われました。
この後、聖マルタン礼拝堂、修道僧の納骨堂、チャペル、騎士の間なども順に訪れましたが、集合時間が近づいてきたのであまり写真も撮らずに足早に進みました。
コチラのサイトにパンフレットの解説付きでそれらも説明されているので気になる方はのぞいて見てください
ということで、再びシャトルバスで戻りますが、この人の多さ、、、
人口密度が半端じゃない
そしてこの状況でよく写真撮った(笑)
昼のモンサンミッシェルを堪能した後は、サンマロへ行き、みんなでブルターニュ地方名産のシードルで乾杯!(前回の記事はコチラ)
そして贅沢にも夜のモンサンミッシェルを拝むことに。
まぁツアーに含まれてるんですがね!
日が沈み、だんだんと暗くなる。
すでにモンサンミッシェル付近まで到着していた僕たちは暗くなるまでとりあえず定番な写真でも撮ることにしました。
動きが出てる感じ、グッド。
はい、そして夜のモンサンミッシェルライトアップですドーン!!
グランド・リュ(大通り)はまだ空いていて、閉まっている店も多いけど、人は少なくて、雰囲気はいい感じ!
ということで、モンサンミッシェルツアー、楽しみました。
1日の締めくくり。
今日の総仕上げとして全力で走ります(唐突)
いや、初めてこのシャトルバスに乗っていた時からふと思っていたことがありまして。
バスのスピードはのろのろなので、これ、走ったら結構いい勝負できるんじゃないかと、、、
多分距離にして2〜3キロくらいかな。
帰りは途中にあるホテルに車が停めてあるので、まぁ1キロちょっとなら、無性に勝てる気がしてならなかったんです。
ちなみに今回の人間VSシャトルバスの参加者は僕1人です。
みんなはシャトルバスの中から応援です。
なんせまともに運動してませんからね。
準備運動は入念にしておかないと。
周りの観光客から笑われながらガン見される。
そんなことはどうでもいい。
今、何よりも大事なことは羞恥心を捨て、己との戦いに勝つこと。
(え、バスに勝つことじゃないの?)
「ぷしゅーっ」
バスのドアが閉まる。
それと同時に、軽快なスタートを切る。
走り出しは順調だ。
後からバテないようにある程度のスピードを保ちつつ、最高時速160km以上は出るであろう鉄の箱との距離を離していく。
「ふぅっ、やっぱりな。奴は安全運転のため時速10kmか20kmそこらしか出していない。このままのスピードを保てば目的地のホテル付近まで俺の独走状態だ!!!」
体からアドレナリンが溢れ出る。
やるからにはなんとしてでも勝ちたい。
まるで自分がウサインボルトになったかのような気持ちを覚えた。
風を切るように、、、
いや、風と一体となって、、、、
いや、もはや僕は風だ。
しかし僕は甘く見ていた。
完全無欠のアスリートなどいない。
それ以前に僕は住所不定25歳痩せ型独身男性運動不足なのだ。
だんだんと僕のスピードが落ちてくる。
そしてバスの速さが若干上がってくる。
まずい、ここままでは追いつかれてしまう。
動け、動け!
もっと早く、もっと早く!!
しかし無情にも奴は背後から着実に僕を捉えていた。
だんだんと距離が近くなる。
10m
5m
2m
「うわぁああああああああああ!」
みんなの顔が横切る。
手をふって応援してくれてる。
けんさん、ちかさん、ぎんちゃん、めぐさん。
僕、負けました!!!
ラストスパート、この世の終わりかと思うくらいのしんどさ。
もう無理。
動けん。
翌日からは筋肉痛と戦う日々が待っていた、、、
そんなモンサンミッシェルツアーでした(笑)
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果敢に挑戦も...見事な負けっぷり(笑)
返信削除完全敗北。でも後悔はない(笑)
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